腎臓移植をしてはいけない理由 kidney transplant ①

私はドナーになった

日本では臓器の提供をうけるには二種類の方法がある。脳死判定を受けた者からか、親族からである。私は生きているので後者の方法でドナーとなった。これを生体移植(生きている人間から臓器を取り出す移植)という。成功率は生体移植のほうが高く、これはドナーが血縁者であることが多いので適合率が上がるのと取り出したばかりの臓器が新鮮であることなどが理由に挙げられる。

私が失ったのは腎臓だ。この臓器は二つあるので片方がなくなっても死に直結することはないが、体調はとても悪くなる。単純な話、人間は目も耳も手足も対になっているが片方を失うと不便になる。すぐに死ぬことはないが、以前と同じようには生きられない。私も一応は医療従事者の端くれなので、リスクを承知したうえで臓器を取り出した。しかし誰かから生体移植ドナーの相談をうけたなら、「絶対にやめなさい」と言うだろう。ドナーになるには「死の覚悟」が必要だ。臓器提供する相手は自分の命を懸けて守る価値があるのか、よく考えなくてはならない。死ぬ気で生きるとは、そういうことだ。

この世には病名こそついているものの原因と治療法がわからない病がたくさんある。そういった病気の多くが腎臓にダメージをうける。生まれつき、または若くしてそのような病に侵されたのであればドナーから臓器提供をうけるチャンスがあってもいいのではないかと思う。ただし、年寄りとⅡ型糖尿病患者には必要ないと私は強く思っている。ましてや生体移植など決してしてはならない。自分に与えられた肉体は自分のためだけに使うべきで、犠牲を払ってはいけない。

レシピエントはⅡ型糖尿病

臓器を提供する側をドナーといい、移植をうける側をレシピエントという。

私の腎臓を移植したレシピエントは父親だ。彼は太りすぎて三十代でⅡ型糖尿病になり悪化していった。糖尿病の三大合併症は周知の事実だが、簡単に説明すると「しびれ、痛み、または無感覚」、「失明」、「腎不全」といった症状である。父親は腎臓の機能が低くなり六十代で人工透析を受け始めた。透析をしなければ死んでしまうと医師に言われたらしい。確かに透析で血を入れ替えれば糖尿病腎症で死ぬ確率は少し減るが、血管が固くなるので脳梗塞や心筋梗塞になる確率がぐっとあがる。透析してもしなくても地獄だが、したほうが長く生きる可能性が高い。父親はそれにすがった。そしてやがて「透析は疲れる。毎晩悪夢をみる」、「中国の死刑囚の腎臓を買いたいけど、高いし適合するかわからない」と繰り返し話すようになった。彼がどのような人間かよく知っているので、これは「お前の腎臓をくれ」と言っているのだな、と私は理解した。

Ⅱ型糖尿病患者が生体移植で腎臓をもらえることは稀である。子供が親のドナーになるのは極めて珍しい。その理由はⅡ型糖尿病患者の性質にある。私はそのような人達をたくさんみてきたが、彼らの多くがワガママで自己愛が強い暴君である。他者の助言を受け入れて自己を律することができる人間ならば、少なくとも腎不全になるまで病気を放置しはしない。したがってそのような暴君に同情してくれる親族はいないというわけだ。私も子供の頃から彼を心底憎み、軽蔑してきた。死ぬ気でドナーになった三十代の娘と、娘の寿命が減ったって生きたい六十代の父親。哀れだけれど誰も彼を愛さない。彼に日々殴られ、死に追い詰められた母は私の選択を嘆くだろうか。しかしこの選択は私にとって「命懸けの母の弔い」でもあったのだから、後悔はしていない。父親には長く生きて償ってもらいたい。

腎臓は生と性

Ⅱ型糖尿病患者に腎臓移植は必要ないと書いたが、これは特に男性に対してである。少しややこしい話になるのだが、前もって結論だけをまとめてしまうと「Ⅱ型糖尿病は身から出た錆であり、勃起や射精ができないことは諦めてもらいたい」というのが理由である。

老いるとその現象は外見と腎臓に表れ始める。それは男女ともに変わらない。違うのは、女性は外見を整えることに神経を使うのに対して男性はサプリメントやバイアグラで勃起の回復維持に力を入れるということだ。腎機能が低下すると勃起不全になる。男性の多くは射精の快楽に憑りつかれているので、勃起できなくなるのを恐れている。生涯現役だと下半身を振り回す老人の話を聞くと、もはや射精するために生きているとしか思えず鼻白むが、人間は年老いていつかは死ぬのだ。そしてその最期まで性への執着を手放さないが、Ⅱ型糖尿病患者はその性質からそこへのこだわりが特に強い。彼らは射精の希望を諦めない。

東洋医学の五行学説においても老いと腎臓は強く結びついている。五行学説とは、自然界や人間などの様々な現象を五つの性質に分類したもので東洋医学の診断と治療に欠くことができない。そこに当てはめると、老いと比例して腎機能が低下していくのは自然な流れで皆に平等なのである。

臓器の五行学説

腎機能が低下すると、血液中の老廃物を尿として排泄することができなくなる。老廃物は毒素となり血液に混じっていつまでも体内を循環し続けて、やがて他の臓器も侵し始める。人工透析とはこの毒素を取り除く血液交換である。東洋医学ではさらに明確に、腎機能低下とともに歯と骨がもろくなり髪が痩せ、生殖機能が衰えるとされている。上の図にあるように五臓はバランスをもって五角形をつくっている。この五角形が小さくなっていくのが老化であり、その大きさは変えられずともバランスを保つように導くのが東洋医学の治療である。私は老人のセックスに反対しているのではない。各々の五角形の大きさに合った性生活をおくればよいと思う。ただ老化に逆らうべきではないといっているのである。Ⅱ型糖尿病は不摂生で肥満体型が続き発症することが多く、一昔前までは「贅沢病」とよばれていたが現在は「生活習慣病」となっている。若くして発症するのも珍しくはなく、その名のとおり生活習慣を見直さなければ腎機能はどんどんおちていく。その五角形は老人のように萎みバランスはガタガタだ。そして勃起不全である。これはやはり身から出た錆というしかない。「諦められない」とわめいても、血糖値をコントロールし勃起不全で生きていくしか道はない。さらに腎不全になるまで自分を甘やかす人間ならば、新しい臓器を与えてもまただめにしてしまうだろう。

重複になるが、私は若い者から順番に生きるチャンスを与えられるべきだと思っている。親が病気の子供に臓器を提供する気持ちは理解できるし間違っていないと思う。当然に老化や太りすぎで腎機能を失った者はそれに含まれない。ましてやその者が勃起と射精を楽しみたいⅡ型糖尿病であるのならば、新しい腎臓を与える必要はない。

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この記事を書いた人

鍼よりお灸が気持ちいいので好きです。
国家資格を持っています。
お灸の効果と気持ち良さをひろめていきたい灸アドバイザーです。

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